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tik, tik… BOOM!

若さに追われる感覚、炎が近づいてくる感覚、これらは全て本物の痛みに違いない。夢を追うことは美しくはないし、努力はすればするほど苦しくなっていく。時間は過ぎ続けるうちは透明で、過去になったときにやっと名前が付けられる。だからあこの映画を見るのは苦しかった。冒頭をぼんやり見逃していたせいで、主人公のジョナサン・ラーソンが実在の人物であると思わず僕は物語を見始めた。

1週間で30歳、つまり若者ではなくなってしまう主人公。彼は自分と同じ歳でポール・マッカートニーがビートルズの最終章を過ごしていたことを意識し、両親がすでに親であったことを意識し、締め付けられるようになっている。これらは全くもって本物の感覚だと僕自身も同じように胸を締め付けられていた。物語として起こりうる結末は、主人公が作家として成功するか、それとも失敗するか諦めるか、フィクションである限りここに救いはないなと僕は考えていた。そう簡単に成功を掴めるのはこれがフィクションだからであり、夢に破れた人間が美談になり得るのもフィクションのなかでだけだ。だから救いはない。

しかし、結論を述べるとこの物語は間違いなく救いそのものだった。数か月小説を書いていなかった理由に努力をすれば苦しくなるということがあった。どうにもならないものに時間をかけていたことを目の当たりにすると、再び足を踏み出すのがとてつもなく恐ろしくなる。この物語が自分に認識させたのはごく当たり前の事実だった。忘れてはならないことは、恐怖も絶望も逃げることも全ての感覚が生きていることの確認だということだ。これを意識すれば多少は楽に進めるように思えた、生きているとき空気の塊に押しつぶされそうになるのは、速く走っている証拠なのだろう。

物語の最後で改めて明かされたジョナサン・ラーソンの正体はトニー賞を受賞した「RENT」を書いた人だった。僕にとっては、この物語がフィクションでないことが救いだった。僕は映画版『RENT』の名を知っていた。親友が最後に僕に送ったメッセージが「『RENT』こそが人生だ」という言葉だったからだ。彼女はそのメッセージを送った数日後に死んだ。僕はそうとも知らず何週間もそのメッセージに返事をしていなかった。だから、見れるはずのない映画、後悔の象徴のような、一生見ることないだろうと思っている作品だ。でも今は、死ぬ直前まで『RENT』を見る楽しみをとっておこうと思っている。